嫌いなものは嫌いだからしょうがない

しつこい後鼻漏に耐えかねて耳鼻科へ。慢性副鼻腔炎だった。三ヶ月ぐらい服薬を続けて治らなかったら手術だと。 熱も出てきてしんどい。なんだか一週間に一回は熱を出している。

今日は熱も下がってややスッキリし、外に出れないからせめて庭に出て気分転換しようとすると、隣人が意味なく出てきてイラッとする。フェンスで姿が見えなくても声や気配だけで腹立つ。そのぐらい存在が苦手になってしまった。苦手になった理由はいくつもあるが書かない。嫌だった事を反芻したくない。

不法侵入してきた隣人は外構工事してからは当然入ってこなくなったし、基本的には声がしないので存在をかなり忘れられるが、逆側の隣人は声がやたらデカく、嫌でも存在を感じるのがストレス。もはやこちらの隣人の方が無理。なぜか最近やけに行動する時間がかぶる。嫌いだから意識してるからなのだろうか。

この爺も基本的に挨拶を向こうからはしてこない。しても非常に微妙な反応か、たまに無視される。 隣人なので最低限の礼儀として挨拶してきたが、明らかに軽んじられているので挨拶する必要性がそもそもあるのか、甚だ疑問に感じていた。 向こうも思う事があるのか、ひたすら無神経なのかは知らないが、今まで見てきた行動の数々を考えるとこちらとしても関わりたいと思う人間ではない。お互いに関わりたくないのに挨拶する意味はない。 なので挨拶しない事にした。たまたま目が合えば会釈ぐらいはするだろうし、向こうから挨拶があれば挨拶する。ただ私から爺に話しかける事はしない。そう考えたらややラクになった。そうだ。私も本当はずっと関わりたくなかったのだ。幸い一生関わる人間ではない。遅かれ早かれ隣から消えてくれる。だからなるべく楽しく過ごそう。外出できないと隣人の存在が際立ってしまう。不健康になってる場合ではない。