都会人のコミュニケーション

引っ越してから1ヶ月近く経つ。
新しい住まいにもなんだかんだ言って慣れてきた。

つくづく、以前住んでいた都内は肌に合わなかったなぁと感じる。
何しろ人が多すぎて、スーパーでの買い物すら落ち着いて出来なかった。
長年、地味にストレスだった他人の咳払いを聞かなくなったことも嬉しい。


東京に住んで思ったことは、季節問わず咳払いしている人がやたら多いということだ。
住んでいたところが大きな幹線道路が通っている街だったから、それだけ空気が悪いのかな?と単純に考えていたのだが、どうも違うような気がした。

不思議なのはそのタイミングだ。

なぜかすれ違いざまの絶妙なタイミングで聞こえてくることが多い。
人前で咳払いをするということは私の中で失礼な行為だと思っているので、最初の頃はカルチャーショックだったし、私が何か変なことをしているのだろうか?と悩んだこともあった。

意識的にやっているとはさすがに思わない。(通りすがりの赤の他人に対して意識的にやっているのなら相手がキ○ガイだ)
でも人が側にいる時にするわけだから、何かしらの意思表示、コミュニケーションを取っているつもりなのだろう。
たぶん、狭い都会でパーソナルスペースを確保できないストレスを無意識的に発散しているのだと思う。

それにしても、なんかやっぱり感じ悪い。
ていうか、気持ち悪い。
意思表示の手段が咳払いっていうのが。
ぶつかった時すら謝らないくせに、咳払いだけはでかいっていうのが……

そんなにストレスたまって人に優しくなれなくなるぐらいなら東京に住まなきゃいいのに。
住むなら都会に近い片田舎が一番だ。
街にも余白がないと息が詰まる。

短期バイト初日

昨日の体調が悪かったので前日まで断ろうかどうしようか迷ったのだが、体調は良かったのでとりあえず出勤してみる。


久々の立ち仕事。
以前もやっていたことだが、やけにつらい。
久しぶりだからなのか、体力が落ちているのか。
残り一時間というところで、めまいがして倒れそうになったので大事をとって早退した。

うーむ、これはちょっと厳しいかな。
時間帯を変えて、勤務時間を短くしてもらえれば大丈夫かもしれないけど。
相談してみて考えよう。

もう妊婦飽きた

連日の雨で殊更テンションダウン。

原因不明の激しい下痢に襲われる。
これも妊娠と関係あるのか?
妊娠してから体調不良ばっかり。
もう妊婦でいるの飽きた、つわりなんかいやだ。
なんで人間は子供を卵で産めないんだろう。
卵で産んで、孵化器で温めて孵るまで見守るだけならどれほど楽か。


外出もままならないので、今週も競馬。
WIN5、当てたのは福島11Rだけ。
中山10Rのエクラミレネール、中山11Rのショコラブランは買おうか迷っていただけに残念。
阪神10Rは9歳のおっさんが来ると思わないから外しちゃったし、桜花賞ソウルスターリング一択だと思って深く考えなかった。
今週ちょっと絞り過ぎたな。
拡げて買えば決して当てられないレースじゃなかった。
くぅー、何を言っても後の祭り。

ひきこもりを脱する方法

まだ独身の頃、不登校やひきこもりを支援するメンタルフレンドになろうと思いたったことがあった。
面接に行った結果、今の私ではもしかすると利用者側のネガティヴな気持ちに引きずられてしまう懸念があるということで、つまり不採用だったのだが、「るなこさんは文章が上手だから、ひきこもりを脱した体験談を寄せてくれると嬉しい」と代表の方に言われた。

それが誰かにとって励ましやヒントに少しでもなるのなら……
と思いながら、いまだに書けないまま数年が経過した。

「ひきこもりを脱した」という実感が未だにないので、書きようがないのである。
私の場合、社会には出たものの、登校拒否がそのまま出社拒否にスライドしただけだからだ。


実際、(一時的にでも)脱するだけならそんなに難しくない。
いきなり正社員に挑戦するのが怖ければ、まずは短期バイトみたいなハードルの低そうなバイトから適当に始めれば良い。
何をすればいいかもわからない状態であるなら、サポステに相談したり、ハローワークで興味のある職業訓練を受けるとか、しかるべき機関に聞いてみるのも手だろう。

問題は、ひきこもりを脱するまでのサポートはそれなりにあるが、元ひきこもりを優しくサポートしてくれる会社はないということだ。
十代や二十代ならともかく、それ以上の年齢の長期的なひきこもりであれば、ブランクについて厳しく問われるし、面接に通ること自体がそもそも難しいと思われる。

もし会社に入れても、続けられるのかという問題が出てくる。
仕事では、まずフルタイムをこなす体力、円滑な人間関係を築くコミュニケーション能力、困難やストレスに直面した時に逆境を乗り越える精神力など、ひきこもりには欠けているであろう高い能力ばかりが要求される。
そこをどうクリアし折り合いをつけながら真の自立を目指すのかなんて、本人の力量と周りの環境に恵まれる運次第としか言えない。

ひきこもりになった経緯も人それぞれだろうから、こうすべきだという明確なアドバイスもわからないが、あくまで私の経験として、ひきこもりを脱する本当の最初の一歩を踏み出すには、

・本人がこのままではいけないと気づく。
・気づくように親が上手く誘導してやる。

この2つがポイントだろう。

ひきこもりが長期化する前に、親がかなり早い段階で動いておく必要があると思う。
本人が自主的に気づくのを待って親が何もしなければ、気づいた時には手遅れになっている可能性が高い。

淋しい

今日は気分が良ければ色々な場所に出かけようと思っていたのに、どうにも風が強過ぎるので買い物だけさっと済ませて帰ってきた。

最近は無性に孤独を感じる。
体調が優れず、誰もいない部屋で一人で寝ていることが多いからかもしれない。
夜になれば夫は帰ってくるけど、それまではほとんど誰とも話すことはない。

そう思うならもっと積極的に他人と交流すればいいのに、と我ながら思うが、別に会いたい相手もいないし、いたとして会いに行く気力も今はない。

もしかしてマタニティブルーなのかな。
望んで作ってるのに、子供が産まれることが嬉しいというよりも色々な意味で不安しかないし、過去の職場での嫌だった出来事などが突然フラッシュバックしたりしてつらい。

うまく気分転換しないとダメだよって母親に言われたけど、気分転換の方法がなかなか見つからない。
今の私にとっての娯楽はラジオぐらいで、他の趣味で以前楽しかったことは楽しめなくなっている状態。

じっとしているとどうしてもネガティヴになり余計なことを考えてしまう。
気分転換っていう意味でも、バイトするのはいいことなのかもしれない。

マタニティマークをつけるべきか否か

電車でお腹を撫でていた妊婦が目障りでウザい、という不妊の女性の書き込みが話題になっているというネットの記事を見て気が遠くなった。

正気なのか?いわゆる釣りなのか?

もしかしたら、その妊婦さんの赤ちゃんだって不妊治療の末にやっと授かった子かもしれないのに。
何様?
どれだけ辛いのか知らないけど、いくら自分が傷ついているからって誰かを傷つけていい理由にはならない。
他人への想像力のなさが怖いし、正直、そんな女に人の親になって欲しくない。

近年ネットで見かける妊婦叩きは一体なんなんだろう。どういう感情から来ているんだろう。
不妊の女性は妬みだろうけど、それ以外の人は??
それだけ人を思いやる余裕がないのか、自己中心的で冷たい人間が増えたということなのだろうか。
自分だって妊婦から産まれた赤ん坊だったくせに。

ネットでマタニティマークをつけている妊婦を見ると不快になる人がいるという話は確かに聞いたことはある。
それを知って、なんとなく怖いのでまだつけていない。
そもそもマタニティマークの意味が正しく浸透していないことが大きな問題のような気がする。
別に子供がお腹にいることを自慢してるわけでも席を譲れって言ってるわけでもない。
一見して妊婦であることがわかりづらい妊娠初期の女性の体調を気遣うために生まれたマーク、であるらしい。
万が一体調不良で倒れた時も妊婦であることがすぐにわかるから、赤ちゃん優先で処置を的確に行うことができるからと。

私だってそんなこと妊娠するまで知らなかった。
妊娠初期の体調が一番つらいなんてことも経験者以外はたぶん知らないだろう。

知識がないからいらぬ誤解が起きている。
これは学校の保健体育とかで子供の頃から詳しく教えるべきだと思う。

根深いひきこもり問題

今は定職に就いていないし、家族以外で話す人はいない。

友人はいるが、遠いのでメールのやりとりを時折する程度。
つわりで体調も悪いので、ほとんど買い物と病院だけ外出。
ひきこもりに限りなく近い状態である。

というか、周期があるだけで、基本的に十代の頃ひきこもっていた時と精神的に何ら変わっていない気がする。
ひきこもる時期と活動期を定期的に繰り返しているだけなのだ。


小学校高学年になって新しいクラスに馴染めず、学校に行けなくなってそのままずるずると不登校になった。
中学は一度も行かず、高校は通信制でほとんど授業には出席せず卒業した。
その後は興味があったデザイン系の専門学校に行くが、対人恐怖で出席できず中退。
そして済し崩し的にフリーターになるも、やはり対人恐怖から行けなくなり、仕事はどこも続かなかった。
プライベートでも幼少時代の友人は全員切り離し、家族ともほとんど話さず自分の趣味の世界(ゲーム、V系、漫画創作)に没頭していた。
外出はしても、他人との関わりはずっと避けていた。

かと思えば突然、周りが驚くほど活動的に動いて誰かと繋がりを持とうとすることもあった。
(劇団に入る、芸人に成ろうと相方を探す、友人作りや飲み会に繰り出すなど)
自分なりに自分を変革しようと考えて、必死に動いていたのだと思う。
ほとんどのことはどこにも結び付かなかったが、そういう活動的な時期に主人や友人と出会って現在に至るので、とりあえず全てのことが無駄というわけではなかったのだろう。

もし不登校になる前の自分に戻れたら……なんて全く思わない。
別に理不尽ないじめに遭ったわけでもないし、強烈な毒親のもとに生まれたわけでもない。
単に弱くて怠惰な人間だから、レールを外れるべくして外れていった人間なんだと我ながらよくわかっている。 

しかし、思春期に人間関係の基礎をすっ飛ばした代償はとても大きかった。
コミュニケーションは、大人になってから手取り足取り学べるものではない。
正確には学べる場所がないのだ。
だってみんな当然のように身に付けていることだから、今更わからない、なんていうのは通用しない。
大人になれば、いい年こいた他人にわざわざ忠告してくれるほどみんな優しくも暇でもない。
ただ静かに離れていくだけ。

特に職場のようなオフィシャルな場所にいると、その辺りの空気が読めないらしく、本当にすごく嫌われる。
なんで何もしてないのに嫌われるんだろう?なんて若い頃は思っていたが。
たぶん、集団のルールがさっぱりわからないからなのである。
このコミュニケーションの欠落感は、もしかすると私が一生付き合わねばならない課題なのかもしれない。

子供を産んだら、嫌でも他人とのコミュニケーションが待っている。
それは相変わらず恐怖以外の何物でもない。
でも、子育ては子供を通して自分の子供時代を追体験できるチャンスでもある。
そして過去も癒され、少しは情けない私も成長できるのかも……
なんて思ってもいる。