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根深いひきこもり問題

今は定職に就いていないし、家族以外で話す人はいない。

友人はいるが、遠いのでメールのやりとりを時折する程度。
つわりで体調も悪いので、ほとんど買い物と病院だけ外出。
ひきこもりに限りなく近い状態である。

というか、周期があるだけで、基本的に十代の頃ひきこもっていた時と精神的に何ら変わっていない気がする。
ひきこもる時期と活動期を定期的に繰り返しているだけなのだ。


小学校高学年になって新しいクラスに馴染めず、学校に行けなくなってそのままずるずると不登校になった。
中学は一度も行かず、高校は通信制でほとんど授業には出席せず卒業した。
その後は興味があったデザイン系の専門学校に行くが、対人恐怖で出席できず中退。
そして済し崩し的にフリーターになるも、やはり対人恐怖から行けなくなり、仕事はどこも続かなかった。
プライベートでも幼少時代の友人は全員切り離し、家族ともほとんど話さず自分の趣味の世界(ゲーム、V系、漫画創作)に没頭していた。
外出はしても、他人との関わりはずっと避けていた。

かと思えば突然、周りが驚くほど活動的に動いて誰かと繋がりを持とうとすることもあった。
(劇団に入る、芸人に成ろうと相方を探す、友人作りや飲み会に繰り出すなど)
自分なりに自分を変革しようと考えて、必死に動いていたのだと思う。
ほとんどのことはどこにも結び付かなかったが、そういう活動的な時期に主人や友人と出会って現在に至るので、とりあえず全てのことが無駄というわけではなかったのだろう。

もし不登校になる前の自分に戻れたら……なんて全く思わない。
別に理不尽ないじめに遭ったわけでもないし、強烈な毒親のもとに生まれたわけでもない。
単に弱くて怠惰な人間だから、レールを外れるべくして外れていった人間なんだと我ながらよくわかっている。 

しかし、思春期に人間関係の基礎をすっ飛ばした代償はとても大きかった。
コミュニケーションは、大人になってから手取り足取り学べるものではない。
正確には学べる場所がないのだ。
だってみんな当然のように身に付けていることだから、今更わからない、なんていうのは通用しない。
大人になれば、いい年こいた他人にわざわざ忠告してくれるほどみんな優しくも暇でもない。
ただ静かに離れていくだけ。

特に職場のようなオフィシャルな場所にいると、その辺りの空気が読めないらしく、本当にすごく嫌われる。
なんで何もしてないのに嫌われるんだろう?なんて若い頃は思っていたが。
たぶん、集団のルールがさっぱりわからないからなのである。
このコミュニケーションの欠落感は、もしかすると私が一生付き合わねばならない課題なのかもしれない。

子供を産んだら、嫌でも他人とのコミュニケーションが待っている。
それは相変わらず恐怖以外の何物でもない。
でも、子育ては子供を通して自分の子供時代を追体験できるチャンスでもある。
そして過去も癒され、少しは情けない私も成長できるのかも……
なんて思ってもいる。