コミュ障は結局ただの嫌な奴

漠然と感じてる日々の息苦しさをごちゃごちゃ書きたくなったが、そういえば全部代弁してくれているこの曲があった。
 
人生 IS OVERとは思わないし、きっと未来は七色ってほど希望的なわけでもないけど。
 
なんというか、あまり自分がコミュ障であることに悩まなくなってきた。
開き直りとも言える。
対人恐怖と付き合って20年以上経つので、悩むというより、すっかり自分の人格になってしまった。
通常モードというか、もはや当たり前の状態。
 
誰かの下品な笑い声が聞こえてくると嘲笑されてるような気がして怯えたり、知らない人と話す時に緊張で顔が引き攣ったり、人とすれ違うたびに視線恐怖でイライラしたり、電車で視線のやり場がないので寝たふりをしたり、我ながら本当に面倒臭いし、外出するだけで無駄に精神力を消耗していると思う。
でも、治そうとか考えて無理に努力したところで、鬱になったりロクなことがないことも経験上理解した。
キモいとか変な奴と思われても受け入れる。
実際、他人から見たらキモいし変なんだもん。
 
昔はもっと被害者意識バリバリの客観視できない人間だったので、他人に対していちいち傷ついていた。
ちゃんと挨拶して真面目に仕事してるだけなのに、なんで嫌われるんだろう?とかマジで思っていた。
私の普通はみんなの普通じゃないことに気づいていなかった。
「普通」というのは自分が決めることではなく、大衆の価値観で決まる。
そこから著しくズレていれば、やはり普通ではないのだ。
 
 
この曲も以前聴いた時はすごく共感できたけど、今はそうでもない。
むしろ不快感の方が勝つ。
ほっとかれても嫌、誘われても嫌ってなんなんだよ。
何様なんだよ。知らねーよ。
こんな自分のことしか考えてない歪んだ自意識を持つ奴のことなんて誰が相手にするか。
 
 
結局、コミュ障は周りから見たらただの嫌な奴でしかない。
実際の中身はどうあれ、自己主張しなければ誤解されても仕方がない。
暗くてつまらない奴。
取るに足らない奴。
そういう評価を下されるのは当然だ。
それが不本意ならば、血の涙を流しながらでも他人と交わる努力をするしかない。
相手を知り、自分という人間を伝えていくしかない。
できないなら、スッパリ諦めて受け入れる。
努力もせずに悩み苦しむのは馬鹿としか言いようがないし、本当に時間の無駄。
 
不思議なことに、諦めて受け入れると症状が緩和し、根暗なりに仲間が出来たりする。
世の中には実は意外と根暗が多いのである。
 
波はあるし完全に開き直れてはいないけど、これでもだいぶマシになった。
だって、昔は部屋から出れない時期があった。
家族に会うのが嫌でトイレにも行けず、ビニール袋に用を足し窓からぶん投げたりしていた私がだ。
今は嫌々ながらも外出できるし、一人で電車に乗ってどこにでも行ける。
結婚して他人と生活しているのだ。
誰がなんと言おうと進歩した。
めちゃくちゃ進歩した。